学びの雑記帳

日々学んだことの備忘録。

社会問題としての教育問題②

講座2回目。

 

 

 

模倣存在としての子ども(第一7年期)

p.34の真ん中あたり。

子どもは「大人のすることをする」のです。子どもとの生活の中で最も重要なことは子どもの周囲の人間が、子どもが模倣してもよいことだけを考えたり感じたりすることです。

 

p.35の最後2行

もし子ども時代に模倣にふさわしい力が成長しなければ、自由に関するあらゆる宣言や政治的嘆きにかかわらず、自由な存在にはならないのです。というのも、子ども時代にこのように模倣力を育成された者だけに、社会的自由の基礎を与えることができるからです。

 

第一7年期はもう戻れないけど、人生の中で一番その人の一生の土台となる大切な時期。その時期に駆け引きで育った子どもたちの今。言葉だけ大人並みの会話をして、大人も大人扱いして子どもと接するからなおさら拍車をかけるように知的に子どもたちが育ってしまう。この時期に育つべきものが何なのか、そこを忘れないように。育つべきときにその時期に育つものが育たなかった場合、 すぐには影響が出ない場合もあるが晩年に影響を及ばすこともある。

大人は、自由であることを発展させていけるような模倣のお手本となる。

調整するというのはOK、葛藤することもOK。

しかし、母としてこうあらねばという大人の内面を子どもは模倣する。

無自覚なのが一番危険。

自由とは?

その人がその人であるということが自由。

自分が自分でいることがわからないということの危険性。

自己と非自己。

 

第二7年期

周りにいる尊敬できる人間が、それは正しい、そうすべきである、と語るという理由で行うことが子どもにとっての癒しとなります。

それを「権威に基づく行為」と呼びます。

性的成熟よりもあまりに早くにいわゆる自分自身の判断に慣れさせることは、子どもにとって良くありません。

 子ども時代に権威感情を育成されなかった場合、人間は、成人としての人間の平等の権利を認めるように成熟しないのです。 

 

 

子どもたちは本当はどういう世界を求めているのか、子どもたちが本当はどう望んでいるのかということを見極められる人が権威の存在である。

共感を育むことなく、大人を見上げることが少なく、反感が育っている子どもが多い。親の気をひく言葉にたけている子どもの言動に表面的に反応するのではなく、伝えたいことの本質の核は何なのか、それを意識して子どもと接する。

また、ドキっとしたことが多い場合も反感感情が増え、知的に発達してしまう。

「あなたがそう決めたんでしょ」「自分がそれを選んだんでしょ」と、子どもに判断を促して育ててきた場合も同じである。

権威感情が育たなかった場合、悪に加担する。

 

第三7年期

性的に成熟した後の14、15歳から21歳までの人間には異性への愛が培われるだけではありません。この異性への愛は、人間愛へと発展するのです。

 

(中略)

 

こうした三つの発達段階に沿った教育の基盤に基づいて、人類の未来に花開くべき資質は養成されなければなりません。

 正しく模倣者にならなければならないと知らない場合、模倣者としての肉体は、肉体の中に動物的な衝動しか育成できないでしょう。

 エーテル体が特別に発達するということを知らなかったとしたら、人間の中には一般的な眠れる文化だけが発達することになるでしょう。

 法組織にとって必要な力、平等を実現する力はそこには生まれないでしょう。

 14、15歳からアストラル体と結びついた愛の力が、学校でのすべての授業の中で意識的に与えられることがなければ、人間は決して自分のアストラル体をさらに発達させることはできないのです。

 なぜなら人間は、アストラル体を人間の中で自由な存在形姿として形成することができなくなるからです。物事は、相互に密接に結びついています。

 

 

成長に必要なチャンスは必ず訪れるので、大人はそれをつぶさないように心がける。

教育は、意識的にしないとできないものである。教育は与えるものだから。

 

大変長くなってしまったので、また後日。