PLUTOの感想

浦沢直樹の『PLUTO』を読んでの感想。

 

一巻が発売した当時はいつだったか、巻末を確認すると2004年。

2004年一巻発売直後に夫が購入し、途中まで読んだけど、面白さが理解できずにやめてしまった漫画。

今回は最終巻まで、あまりに早いストーリー展開に引き込まれるような、そんな状態で読み終えた。そして読み終えてすぐは、切ないような、モヤがかかったような、何だか複雑な感情に陥りそうにもなった。

13年前との違いは何だったのか。

あの頃は、多分、自分に合わないと思うものは寄せ付けないというか、合うものだけを取り入れる、そんな状態だった。

はい、合わない、さよなら・・・みたいな。

それって、今考えると自分の世界を狭めている。今もかなりその傾向を残している、とはいえ自分の世界を狭めていたということに気付けたのは、少しはこの10年以上で成長したからだろう。

1巻の中の途中で、手放した場面もそこのページを開けたときに、そうそう、ここで読むのやめたんだと、記憶が蘇ってきた。ここから読み進めたら、多分面白さに引きこまれたのだろうに。

PLUTO』は登場人物が多く途中混乱したので、そのときは書き出してみた。あれ、この人は誰だったっけ?ということがあったので。すると、スルスルと紐解かれるように、ストーリーが私の中に、より濃く展開された。

登場人物たちの数々の言葉がさらに拍車をかけるように、次々と私の中に飛び込んでくる。

「憎しみからは何も生まれない」「人間の憎悪は消えますか?私が一番おそれていたのは憎しみを持ってしまった自分自身なんです」というゲジヒトの言葉。

お茶の水博士の「どうせ死ぬとわかっていても最後まで希望をすてないのが人間なのだ」

誘拐された子どもが解放され、両親が「地球がおわってもおまえを離さないぞ」というシーン。どんな親でも自分の子どもは一番大切だものね。

ロボットの中で、個人的にはエプシロンが登場人物の中で一番好感がもてた。光子エネルギーは、はるか昔の人間がみな持っていたものじゃないのかな。

光子エネルギーは神の光のごとく、我々の未来を照らすー今、スピリチュアルな人達が求めているものって、これかな。

 

漫画の世界だけでなく、今着々と人間とロボットは近づきつつある。

私たちは本来持っていた感覚を取り戻さないといけない。

そうしなければ、60億の人格がうめこまれたロボットがいつかは誕生するのではないか。

天馬博士の「電子頭脳とは、作るものではない。育つものだ。深い悲しみ、挫折、それらが電子頭脳を育てるのだ」という言葉。それは本来なら、人間だけが経験するもの。

PLUTOやアトムを目覚めさせる方法が、怒り、悲しみ、憎しみ、偏った感情を注入したことによる、というのはかなり身震いした。

人が他人に本性を隠しても隠しきれないで出してしまう状況として、たしかにこの怒りや憎しみの感情があるときだと思う。

わざと、そういう感情を相手にもたせてしまう人との関係では、きっちりと境界線をひかないと、相手の思うツボだから気をつけないといけない。

 

最終巻で、憎しみを超えるアトム、アトムがお茶の水博士と抱き合うシーン、ヘレナとアトムが抱き合うシーン、アトムとPLUTOが涙を流す場面は思わず感情移入して泣きそうになった。

本当に壮大なスケールの漫画だった。さすが浦沢直樹

 

長くなったので、このへんで。

鉄腕アトムも読んでみたい。

 

〈追記〉

ヘラクレスの言葉。「人間はなぜあんなモニュメントを建てたがるかわかるかい?」

「忘れてしまうからだよ。記憶がどんどん薄れる前にああいうものを建てて忘れられないようにする。」

記憶力。こうやって書くことも忘れないようにするためなのもある。でも、忘れていっちゃうんだよね、どんどん。