学びの雑記帳

日々学んだことの備忘録。

社会問題としての教育問題⑤

 講座5回目の備忘録。内容は第3講。

 

 1.国民経済学の限界

商品・労働・資本の三つの概念について

この三つの概念が完全に理解されれば、外的な社会生活についての理解がもたらされます。私は明確に、外的な社会生活の理解と申しました。なぜならこの三つの概念は、外部での社会的な共同作用及び協働作業から取り出されたものだからです。

 

商品・労働・資本の本来の概念は?

商品とは、人々が欲するもの

労働とは、人が動くこと

資本とは、何かに使える余剰

 

お金を稼ぐ、儲ける、儲かる、などの思いが、この三つの概念と共にくっついてしまっている今の世の中。

このイメージが変われば、社会も変わる。

このお金と共にあるままでは、人間とは何か?という問いも意味をなさないことになる。もっと、単純に言葉の意味を理解するとシュタイナーが言っていることがわかってくる。

 

 

 

無意識に、常に人々は私も含めてお金に支配されているんだと思った。拝金主義まではいかないけど。紙幣って、単なる紙切れだよね。お金はただ循環するもの。それを止めている富裕層。

 

 

 

2.想像的概念の重要性

もし皆さんが社会生活を一つの有機体として考えるならば、皆さんは精神的なもの魂的なものの中へあるものが流れ込み、この有機体を貫流すると思い描く必要があります。例えば血液が吸い込んで変化する空気の担い手として人間や動物の有機体を流れているように、社会有機体全体を何かが担い、行き渡り、貫流する必要があるのです。

ここで私たち現在の人間には感情においてほとんど準備ができていないため、理解が非常に困難ではありますが、しかし、社会の新建設について真面目に語ろうとするならば、私たちが理解しなければならないところにたどり着きます。未来の社会生活において人々がお互いに会話するということは、お互いに理念、感受、感情を交換することに依存する、それが理解されなければならないのです。

 

イメージする力。一人一人の中で確認。

思いを馳せる力。他者を直観する能力。(自我感覚)

想像力ー像を立ち上げる力。映像として再現する、像は動く、変容していく。

想像力は変えていける。

それが育っていないことが、社会問題である。

「 お互いに理念、感受、感情を交換することに依存する」というのは依存的という意味ではない、元になるということ。

自分が伝えたいことを明確にしていないと会話できない。

自然科学は死んだ概念である。

ゲーテの自然観察法を学んでみるものよい。

 

3.自然全体がイメージ的

もし皆さんが、社会有機体の中へ、イメージ的な表象をもたらすことができなければ、社会有機体を社会的に構築することは不可能でしょう。つまり私たちは、イメージによって話し合うことができなければならないのです。今日社会主義的に考えている人々にとって、これがどんなに異様に響くとしても、社会化のためには、社会有機体において、人間が人間と想像力を刺激するようなイメージによって語り合うことが必要です。そうならなければならないのです。

 

分析的にみる人には感受できない。

 

4.労働概念とインスピレーションの関係

どれだけの労働力を用いたのかが問題なのではなく、社会生活においては、何のためにこの労働力が用いられるのかが問題なのです。社会生活が財や商品を生産するものであるとすれば、労働力そのものは社会生活とは何の関係もありません。それゆえ三分節化された社会有機体においては、財を生産するのとは全く別の労働への動機づけが必要です。財はある意味において、労働によって生み出さなければなりません。労働は、まさに何かに用いられるためのものだからです。しかし、人間が労働する際に基礎となるべきものには、労働への意欲、労働への愛が存在するということが大切です。私たちが、人間が労働したいと思う方法、労働することが当たり前になる方法を見出さなければ、社会有機体の社会的構築は実現しないでしょう。 

 

ホームレスの方々の話。

人間がものと関わるということ。

 

5.商品と労働と資本の相互の関係について

もし人間が再び人間の中に直観が存在すべきであるということを認めるならば資本が社会有機体の中に組み込まれることになり、イマジネーションが存在すべきであると認めるならば商品が正しい位置を占めることになり、インスピレーションが存在すべきということを認めるならば労働が正しい位置を占めることになるのです。

 

自然の摂理を理解し、精神的な高みに向かう必要がある。

意識の覚醒。

背後にあるものをみる必要がある。

それができていないことが社会問題としての教育問題。

 

6.社会の三分節化

社会の三分節化は、世界を逆立ちさせるものだという人もいます。そうではありません。今の世界が逆立ちしているのです。三分節化は逆立ちした世界を足で立たせようとしているにすぎません。世界が逆立ちしていることこそが問題なのです。事態を逆にする必要があるのです。

皆さんおわかりのように、今日とりわけ問題なのは、インスピレーションに支えられた概念を見出すことです。そうしないと、精神の機械化・魂の眠り(すなわち植物化)・身体の動物化(すなわち本能的構築)に向かって進むことになってしまうからです。

 

社会の三分節化についての理解は、『社会問題の核心』 を読むとよい。

図が線でないのは、有機的に繋がっているということを表すため。

人間的に利用することができるということを表す図。

線で引くというのは分析的。

 

7.精神性を喪失した言葉

私たちの理念、私たちの概念、私たちの感受をも変えなければならないのです。人間の未来に治療的に対処したいと思うならば、肩の上に別の頭が必要なのです。人間がこうした考えに慣れるのは非常に難しいといえます。なぜかといえば、古い頭は、長い間人間が慣れていることだけを考えるのに慣れているからです。ですが今日私たちは、意識的に私たちの魂の中に生きているものを変えなければなりません。そして、この課題をたやすいと考えてはならないのです。

とりわけ教育制度についてでは奇妙な経験がなされています。人は、概念としての精神科学が教育学の領域で生み出したものについて、人々に語っています。皆さんは今日、非常に進歩的な教師や視学官や校長などと話し合うことができます。そして彼らは皆さんの言うことを聞いて「はい、私はそのことをずいぶんと前から考えていました。それこそがまさに私の意見なのです」と言います。しかし彼らは実際には、皆さんとは反対の意見を抱いているのです。同じ言葉反対の意見を述べるのです。このように、今日、人々はすれ違います。言葉は、かつての精神性とのつながりを喪失してしまいました。言葉と精神性のつながりこそ、無条件に回復されなければならないのです。そうでないと前に進めません。

社会問題は、私たちが通常考えている以上に、はるかに魂的な領域の中にあるのです。

 

音読の話。国語は本来言葉と精神性をつなぐため、意図を伝えるものとして使うものだが、音読は正しく読めているか、正しく発音できているか、等チェックするだけのもの。どうしてわざわざこういう教育がされてしまうのだろう。シュタイナー学校では、朗唱はあるが音読はない。

聴くという力を奪っているものも一つ。

 

その他、オシテ文字について。どこかで見たことある文字。思い出せない。

7つの生命プロセスについて。

higuchi08.exblog.jp

 

 

今回も内容が膨大で、でも面白く興味が尽きない時間を過ごしました。

何が必要か具体的にわかった講座でした。

 

何が必要かって?

想像力が必要なんです。

それと人と関わっていくこと。

行動していくこと。